RDF or PDF or PCF?
はじめに
ガラスや液体の研究をしていると、位置 \(r\) での局所的な密度ゆらぎを示す ために次の関数 \(g(r)\) をよく評価します。
\[ g(r) = \frac{\rho(r)}{\rho_0} \]
ここで、\(\rho(r)\) は \(r\) での密度、\(\rho_0\) は系全体の密度です。この\(g(r)\) は分野によって名称が異なり、使用した場 面によっては間違いとして指摘されることもあります。\(g(r)\) の名称と して、次の3つが利用されます。
- 動径分布関数 (Radial Distribution Function; RDF)
- 2体分布関数 (Pair Distribution Function; PDF)
- 2体相関関数 (Pair Correlation Function; PCF)
シミュレーション研究の多い大窪は、論文等で \(g(r)\) をRDFと呼んでいます。 また、学生にもRDFとして教えているのですが、時々、RDFは間違いでPDFやPCF を使うべきだという指摘を受けます。また、以前に投稿した論文で査読者1名 からRDFは間違いなので修正するようにコメントをもらったこともあります。 定義を書いていたので、釈然としないながらも査読者の指示にしたがってRDF をPCFに修正して再投稿・受理された記憶があります。
感覚として、回折実験系の人は \(g(r)\) をPDFまたはPCFと呼び、シミュレーショ ン系の人はRDFと呼ぶ傾向が強いような気がします。回折実験分野でPDFまたは PCFとする理由は、\(4\pi r^2 \rho_0 g(r)\) をRDFとして定義したい事情があ るのかもしれません。大窪は回折データから \(g(r)\) を求める実験と解析コー ドの作成を行ったこともあるので、回折実験分野の事情もわかるのですが、 どうもすっきりしないので、調べてみました。
Wikipediaで調べてみる
RDFのWikipediaによると、"the radial distribution function, (or pair correlation function)"となってinterchangeablyな感じですが、TalkのMerge proposalのAgreeで、回折分野でのRDFとPCFの違いを指摘している人がいます。一方、 Disagreeでは、統計力学分野で、PCFを\(g(r)-1\) と定義している書籍が多いようで、 bloody confusing (血みどろの混乱?)になっているようです。
ChatGPTに聞いてみる
英語と日本語で聞いてみたところ、EnglishではRDFとPDFは同じ関数、PCFは距 離に限定しない相関という感じの答えでした。日本語では、PDFとPCFの式がそ もそも \(g(r)\) になっていませんでした。
スクリプトは以下のとおりです。
English
- What is the difference between a radial distribution function (RDF), a pair distribution function (PDF), and a pair correlation function (PCF)?
- Explain in more detail the difference between RDF, PDF, and PCF.
Show the difference between RDF, PDF, and PCF in mathematical formulas.
https://chat.openai.com/share/fad9d981-dc56-42ca-bcc9-36eb62adea24
日本語
- 動径分布関数(RDF)、2体分布関数(PDF)、2体相関関数(PCF)の違いは何ですか?
- RDF, PDF, PCFの違いをもっと詳しく説明してください。
RDF, PDF, PCFの違いを数式で示してください。
https://chat.openai.com/share/9718d0e7-b153-4dfc-9c4a-237116f1caf6
手持ちの教科書で調べてみる
回折実験の書籍はPDFを使うことが多く、統計やシミュレーションの書籍ではRDFを使う ことが多いようです。 複数の著者による総説的な書籍では、まったく表記が 統一されておらず、Radial Density FunctionやRadial Pair Distribution Functionという新しい名称まで出現して混乱の極みです。
手持ちの教科書を調べた結果は以下のとおりです。
RDFとして定義
- キッテル 固体物理学入門 第7版(下) 17章「非晶質固体」のp.233
- コンピュータによる物質科学 p.47
- Understanding Molecular Simulation, Second Edition: From Algorithms to Applications p.86
- 液体と溶液 p.13
- X線構造解析―原子の配列を決める p.210 (\(\rho_0 g(r)\) をRDFとしている。誤植?)
- Atomistic Simulations of Glasses: Fundamentals and Applications p.47
PDFとして表記
PCFとして表記
- X線・中性子の散乱理論入門 p.140
Radial Density Functionとして表記
Radial Pair Distribution Functionとして表記
Google scholarで調査してみる
Google scholarを利用して、RDF, PDF, PCFのヒット数を調べてみました。シ ミュレーションと回折実験で分けるために、RDF, PDF, PCFとMDまたはX-rayの どちらかのみを含むようにキーワードを指定してヒット数をカウント しました。なお、ヒット数の収集は、Pythonで自動化しています。
得られたヒット数は、列と行で整理してリンク付きで表にしました。シミュレー ション分野(MDだけですが)ではRDFがよく使われるようです。MDシミュレーショ ンの研究で使われているRDFをすべて誤りとして、PDFやPCFに修正させるのは 無理があるようです。
MD | X-ray | |
---|---|---|
RDF | 33000 | 21000 |
6850 | 17200 | |
PCF | 10900 | 8050 |
まとめ
回折実験分野では \(g(r)\) をPDFと呼び、シミュレーション分野では \(g(r)\) をRDFまたはPCFと呼びことが多いようです。回折実験分野の研究者が多い学会 や論文では、RDF\(=4\pi r^2 \rho_0 g(r)\) と誤解される可能性があるので、PDF またはPCFを使うと良いでしょう。シミュレーション分野では、RDFで良いかも しれません。
回折実験もシミュレーションも混在した領域の場合、どの名称が適切なのか悩ま しいところです。大窪はRDFとするのですが、その理由は以下のとおりです。
- 固体物理の標準教科書であるキッテル第7版はPDFとしている。
- 回折実験だと「Pair」は距離を意味するが、シミュレーションだと速度だっ たり力だったりいろいろな「Pair」をとれるので、PDFやPCFはやや違和感が ある。
- シミュレーション分野でRDFを使うことが多い。
- 15年くらいRDFとして論文・学会発表しているので、いまさら変更しにくい。
伝える側と伝えられる側で意味が一致すれば良いと思いますが、 \(g(\infty)=1\) になるはずなので、どの名称を使っても図を見れば一目瞭然と 思います。よって、特定の名称に固執する必要はないかと思います。
\(g(r)\) の名称について「正しい/間違っている」と指摘することは、現在の混 乱状況を加速させることになります。不毛な名称の争いは止めた方が良さそう です。
謝辞
本記事は、回折実験に詳しい匿名2名の方に査読いただきました。感謝申し上 げます。ご意見ありましたら、大窪までご連絡ください。
更新履歴
- 本記事を公開
- 教科書の記述を一箇所修正